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 07/第七篇 トゥエンティフォー・セブン 
■完結しない試合
 映画とボクシングの関わりについては、何度か述べてきた。これまでに言及していなかったことのひとつに、ボクシングを描く映画において、ボクシングの試合が終了まで描かれることは非常に稀である、というものがある。

 それはそうだろう。ボクシングが八百長や犯罪と深く関わっているのだから、映画の中で試合がまともに終了しては、物語の進行上、都合が悪くなる。こうしたことを考えると、『ロッキー』は、ある意味においては意欲的な試みであったといえる。同時に、試合を終了まで描いてしまうことが、映画史に対して慎みを欠いた行為であることも否定できない。
 試合を丹念に描きながらも、その終了時にストップモーションを用いることによって状況を宙づりにし、開かれたラストシーンの実現を成功させた『どついたるねん』は、映画とボクシング、その両者に対する思いが夢のように融合した、80年代にしてやっと製作が可能となった傑作である。

 『どついたるねん』のように、ボクシングに対する純粋な思いと行動を描くことはできないのか。何を言う、そんなことをしてはいけないのだ、という叫びを突きつけ、見る者に寒気をおぼえさせえるこの『トゥエンティフォー・セブン』は、ボクシングを描きながらも、真の主題が別のところにあるような、ハリウッドの暗黒映画が有していた姿勢に近いものを持っている。

 巷に出回っている紹介を読むと、イギリスの無気力な若者たちが、ボクシング・クラブ101を主宰する熱気溢れる中年男性に促されて、ボクシングの中に自分の目標を見出していく、といった健全な映画であるかのように、間違ったとらえられ方をしている。だが、これは「健全」なとどはかけ離れた映画だ。
 カラーフィルムを脱色したものではなく、モノクロのためのフィルムで、時折陽射しが白過ぎるくらいのコントラストを見せる、白と黒の対象が心地よい世界の中で、若者たちの成長が描かれることは極力排除され、むしろクスリで気を失った生徒の介抱を丹念にとらえるといった具合に、『ロッキー』のトレーニング・シーンなどとは、およそ縁遠い描写が続く。

 それでも、クラブ101の主催する対抗試合にまではこぎつける。別の町にあるクラブとの団体戦だ。第一試合は、101ウォリアーズのKO負け。第二試合は、101ウォリアーズの選手が、一度ダウンを奪いながらも、逆転のダウンを喫し、これに逆上してニュートラル・コーナーの相手選手に飛びかかり、レフェリーの制止も振り切って、マットに転がった相手に蹴りの乱れ打ちに及ぶ。当然のことながら、失格。

 そして第三試合。今度の選手は大丈夫そうだな、と安心していると、その選手の父親がリングに乱入して、息子に試合をやらせるな、と暴れまくる。これに怒ったクラブの主宰者ボブ・ホスキンスが、この父親を半殺しにし、大会は中止。まともな試合は最初の一試合だけという、絶望的な展開である。

■破壊の映画
 ボブ・ホスキンスの中年男性が、なぜクラブ101を始めたのか、という動機、無気力だった若者たちの成長ぶり。そういった、八百長や犯罪とは絡まない、スポーツボクシング映画にあって然るべき要素がないのだから、これは停滞するだけだな、と思いながら見ていたのだが、作者はどうやらスポーツボクシング映画など、作るつもりはなかったようだ。

 大会の残酷な中止ぶりで明らかになるのが、破壊というこの映画のテーマである。ここでいう破壊とは、意図的な攻撃によるものを意味してはいない。意志と意志の行き違いや衝突が、大切なものを壊していく。崩壊に近い破壊がそこにはある。
 大会が中止になった数日後、クラブは閉鎖され、倉庫になることが入口に表示される。鍵を壊して中に入った101ウォリアーズの行動は、グローブに火を点け、それをリングに投げ入れてリングを燃やすというものだった。

 自分たちの闘う、神聖ともいえる場を自ら燃やしてしまうことに、同じ格闘技に携わる人間として、胸をえぐられるような悲痛さをおぼえずにはいられない。決して己れの意志ではなかったはずの破壊が、意志による破壊へと変化し、自分たちの行き先を封じてしまったのだ。
 だが、この映画は、まだ破壊をやめようとはしない。ホームレスとなったボブ・ホスキンスが、変わり果てた姿のまま息を引き取ることによって、映画はその残酷な破壊行為の最終打を放つ。この先に何が見えてくるのか、答えは提示されない。

 ラストシーンで、クラブのメンバーやその家族たちが、ボブ・ホスキンスの葬儀に集まる。彼らの姿に、なんらかの救済が見出されるだろうか。絶望的な閉鎖状況はなおも続いているのだ。それは、ボクシングが映画と深い関わりを持ちながらも、決して幸福な関わりとなり得ない状況と重なって見える気がしてならない。

     
  トゥエンティフォー・セブン TWENTYFOUR SEVEN / 1997年 イギリス
製作総指揮:スティーブン ウーレン
製作:イモジェン ウエスト
脚本:シェーン・メドウス
監督:シェーン・メドウス
出演者:ボブ・ホスキンズ 、ダニー ナスバウム 、マット ハンド 、ジェームス フートン 、ジャスティン ブレディ
撮影:アシュレイ ロウ
音楽:ニール マッコール 、ブー ヒューアダイン
 

 

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 08/第八篇 最後のブルース・リー ドラゴンへの道 
■25年ぶりの再会
 ブルース・リーの最高傑作は『燃えよドラゴン』だ、といろいろなところで発言してきたせいか、私がブルース・リーの映画で最初に見たのが『燃えよドラゴン』であり、その強烈な印象ゆえに、これを最高傑作だと主張している、と周囲からは見なされている向きがある。

 しかし、最初に見たブルース・リー映画は『ドラゴンへの道』だ。『燃えよドラゴン』が日本に上陸した衝撃が、地方の小学生であった私にまで伝播してきた頃、『燃えよドラゴン』の上映は既に終了していた。
 ブルース・リー第二弾と銘打たれて公開された『ドラゴン危機一発』が『燃えよドラゴン』の翌年四月。子供だけで映画を見に行くなんて、もっての他とされ、せいぜい夏休みくらいにしか映画を見に行くことのできなかった小学生が、四月に一般向け映画を見に行くことなど、とうてい叶わぬ夢であった。

 第三弾の『ドラゴン怒りの鉄拳』は、ブルース・リーの命日に公開され、ちょうど夏休みという絶好のタイミングであったが、なぜかこれを見に行くことがなかった。
 その冬、やっと訪れた好機が『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』だった。祖父に連れられ、ブルース・リーの勇姿を初めてスクリーンで見ることのできた感動は、ブルース・リーに接した多くの人がそうであったように、私の人生を大きく揺るがすものとなった。

 翌年の六月くらいだったか、『ドラゴン危機一発』『ドラゴン怒りの鉄拳』、さらには『チャップリンのキッド』という、鬼のような三本立てが上映されて、ようやくブルース・リーの世界に入り込むことができるようになり、待望の『燃えよドラゴン』を見ることができたのは、その年の冬。日本での初公開から既に2年が経過していた。
 それだけに、待ちに待った『燃えよドラゴン』の衝撃は、それまでの映画とは比べ物にならない、異次元へと突き抜けるような強烈さがあり、その後、映画館で繰り返し見ることのできた幸運も手伝って、私の中におけるブルース・リーの最高傑作として君臨し続けるに至ったのである。

 なぜか『ドラゴンへの道』だけは、初めて見たとき以来、一度も映画館で再見することがなかった。1997年にリバイバルされたときも、どうしたわけか見ていない。これは確か上映されている映画館が嫌いだったから、という記憶もある。
 そして、1974年の初公開から実に25年という歳月を経て、やっと『ドラゴンへの道』との再会が果たされたのである。思い出は雪だるまのように巨大化している。タイトルを見ただけでも泣いてしまうのではないか、との予感もあった。

 しかし、そこはブルース・リー。泣いてしまう、というような湿った感情を吹き飛ばす興奮が待っていた。もう、ブルース・リーのカッコ悪さを見ているだけで嬉しくなってくる。ノラ・ミャオとローマの遺跡を散歩するシーンは、プライベート・フィルムのような肌ざわりで、映画ではない素顔のブルース・リーを見るような感慨すらある。
 ビデオ版は中国語だが、今回上映されたものは英語版である。初公開時も英語版だった。『ザ・ビッグ・ガイ』などの挿入曲が流れないのは少々寂しいが、レコードで何度も繰り返し聞いた音声がまた聞けるのは、それがたとえブルース・リーの声でなくても、とても嬉しいものだった。

 しかし、セリフはともかく、ブルース・リーの怪鳥音がなくては困る。店の裏でタン・ロンが初めて敵を倒すシーンから、嫌な予感があったが、コロシアムでの決闘までは、ブルース・リーの怪鳥音がすべて消えていた。これはいったいどういうことなのか。安易に吹き替えを入れるのではなく、音源を探して修復しておくべきではなかったか。
 このままブルース・リーの怪鳥音が聞けずに終わるのか、という危惧は、チャック・ノリスとの戦いで、ようやく解消された。ここだけは大丈夫。ブルース・リーの怪鳥音だ。

■高度なテクニックが連続する対チャック・ノリス戦
 不安が吹き飛んだおかげで、画面にも集中することができる。特に昔からの懸案事項であった後ろ足での斧刃脚(ふじんきゃく)をじっくり見ることができたのは、大きな収穫だった。

斧刃脚は、足の裏で相手の膝を直線的に蹴る技である。通常は、前足で蹴る。ジークンドーでは、これをジーテックと呼ぶ。ブルース・リーは、チャック・ノリス戦で、右構えから前足でローキックを放ち、チャック・ノリスの出足を痛めつける。これがかなりのダメージとなるが、チャック・ノリスはそれでも前に出ようとする。

 それに合わせてブルース・リーは、後ろ足の斧刃脚を繰り出すのだ。ジークンドー・フルインストラクターの中村頼永氏によると、これは、相手がローキックで前足を狙ってくるところを、後ろ足の膝を上げて足の裏でストップする防御技であるとのこと。ここから膝が伸びて斧刃脚となったのだ。
 斧刃脚は本来、前足で放つ蹴りであって、後ろ足で蹴るには無理がある。『ドラゴンへの道』をビデオで見ながら、長年このことを考え続けてきたが、スクリーンで見ることによって、ローキックによるダメージ、チャック・ノリスの前進、そして防御の変化形としての斧刃脚、といういくつかの条件が判明し、あの状況であるがゆえの技であったと納得することができた。

 最終的な決め技は、フロントネックロックである。しかし、その前に実質的な勝負はついていた。チャック・ノリスの右ストレートを、左手で受けとめながら右手でその肘を打ち上げ、一瞬にして擒拿(ちんな)を決め、直後にジーテックで膝をへし折る。瞬間的擒拿からジーテック。何と高度な、そして自然な技の連係なのだろう。

 格闘技において強力な攻撃とは、後ろ手、後ろ足から放たれるものである。オーソドックスのボクサーなら、右ストレートだ。体の回転が大きくなるだけ、相手に伝わる力も大きくなる。同時に、体が正面を向く瞬間が生じるため、そこをカウンターなどで狙われる危険性もある。
 できることなら、体が正面を向くことなく、前手前足だけの攻撃で相手を仕留めたい。決め手までの長い過程では、後ろ手後ろ足からの攻撃がいくつもがあったものの、構えの向きを変えず、体が正面を向くことなく相手に決定打を与えた瞬間的擒拿からのジーテックは、格闘技における理想的な攻撃を実現したものなのである。

■崇高なる戦い
 ブルース・リーの映画で、ここまで格闘を現実的に描き得たものがあっただろうか。ブルース・リー映画では、多人数を相手の戦いが大半を占め、それがブルース・リー・アクションの特徴をなしている。

 そうした中で、一体一の対戦を思い返してみると、『ドラゴン危機一発』では、ナイフを持ったハン・イェン・チェンが相手であり、『ドラゴン怒りの鉄拳』では、ロバート・ベイカーとは一体一でもその前に日本刀を持ったヨシダと戦っており、次にはまたも日本刀を持ったスズキこと橋本力が待っているし、『燃えよドラゴン』のオハラは瓶を砕いて襲いかかり、ハンに至っては虎の爪、鉄の爪を駆使し、不平等の度合いはますますエスカレートしていく。
 同等の条件下で、正々堂々と戦いを挑んだのは、『ドラゴンへの道』のチャック・ノリスと『燃えよドラゴン』のサモ・ハン・キンポーくらいであり、『死亡遊戯』しても、一体一の条件は満たしても、連続組手に等しいだけに、この不利は否めない。

 正々堂々の戦い、そして全力を出し切らねばならない強力な相手。ブルース・リーは、チャック・ノリスを相手に迎え、初めて持てる力と技術を発揮し得たのではないか。
 この崇高な戦いは、チャック・ノリスの死によって終結する。チャック・ノリスの首を折るブルース・リーが、一瞬遠くへと視線を送る。怨恨や利害などの介入しない戦いを、純粋な形で全うし、その先には避けることのできない一方の死が待っている。勝利した側は、その死を受けとめなければならない。この瞬間のような感動が、他のブルース・リー映画にあっただろうか。

 戦い終えて上衣を着たブルース・リーが、ふと思い出したかのように踵を返し、チャック・ノリスの上衣と黒帯を拾い上げ、亡き骸の上にかける。戦いそのものが崇高だった上に、ここでさらなる崇高な、まるで儀式のような行為を見せられてしまうと、もはや涙を抑えることなどできない。
 ラストシーンで画面の奥へと消えていくブルース・リーの後ろ姿すらまともに見ることができないまま、映画館内を充満し尽くした熱気と興奮の中、最終回の上映が終了しても席を立てずに呆然とし続ける私であった。

 

     
 

ドラゴンへの道 THE WAY OF THE DRAGON / 1972年 香港
製作:レイモンド・チョウ
監督:ブルース・リー
脚本:ブルース・リー
出演者:ブルース・リー 、ノラ・ミャオ 、チャック・ノリス 、ロバート ウォール 、ジョン ベン
撮影:ホーラン・シャン
音楽:クー・チア・フイ

 

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