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 29/第弐拾九篇 サイダーハウス・ルール 

■窓は別れの舞台装置
 孤児院から少女が里親にもらわれていく。自分を引き取ってくれる相手がいないことを嘆く少年が、その光景を窓から見つめる。トビー・マグワイヤの演じる主人公ホーマーは、少年を慰めながら、彼と並んで窓から、少女と里親たちの乗った自動車を見る。

 映画のスチールとして頻繁に紹介されるこのショットは、寒さと温かさを同時に伝える力強さを放っているが、それ以上に、別れを演出するための舞台装置として、窓が選択されたことに深い感銘をおぼえずにいられない。

 少女に続いて、ホーマーまでもが、孤児院を去ることとなり、彼に想いを寄せるメアリー・アグネスもまた、かつてホーマーたちがそうしたように、窓から自動車を見つめる。

 『インサイダー』では、物語の力に屈してしまった、映画の窓が、この『サイダーハウス・ルール』では、物語と共闘して映画を輝かせながら、映画が始まってさほど長い時間が経っていない時点にも関わらず、絶大な存在感を獲得してしまったのである。

■ガラスへの変容
 ホーマーを窓から「見送った」メアリー・アグネスは、突如部屋から走り出し、洗面所の鏡の前に立つ。涙を流している自分の頬を左右の手でぶつという悲痛この上ない行動がここでとられるわけだが、彼女の顔を映す鏡が、窓に近い形状を保っていることに気づく。

 横長の窓に対して、縦長ではあるのだが、その四角い形は、窓が変容を伴って再現されたものとしてとらえられる。さらには、ガラスという薄い板状の形状までもがその印象を強め始めるのだ。

ガラスは、時には海辺で、シャリーズ・セロンのキャンディが拾い上げる、波によって研磨されたガラス片へと変奏され、時には野外劇場で、映画を映されることなく存在し続ける大スクリーンとなって、キャンディとホーマーのカップルを見つめ、あるいは実際にスクリーンと対峙している私たちに映画外と映画内の相似形を意識させ、さらには、マイケル・ケインのラーチ医師が偽造するホーマーの医師免状へと姿を変えながら、純粋に視覚的な悦びとして、私たちを刺激し続ける。

■死に対してガラスはどう変化したか?
 ビニールでできた呼吸器(なのだろうか?)に入って、スプライスだらけの『キング・コング』を見ながら死んでいく少年ファジー。この死をも上回る死を、ラーチ医師は体現しなければならなくなる。

毎日の日課どおりに、エーテルをたらす麻酔マスクを口につけながら、ラーチ医師は、窓辺で(!)息を引き取っていく。左手に握られたエーテルの瓶は割れ、ラーチ医師の鮮血がエーテルに薄められた形で流れ出る。窓から鏡、鏡からガラス、そしてガラスの瓶が割れるとき、生命が終焉するのだ。

 申し分ない設定であるが、さらに驚くべきは、駆けつけた看護婦が医師の頭を抱きかかえながら、窓を開けることである。新鮮な空気を入れるという、いかにも納得のいく行為なのであるが、それまで窓は人物と人物を瞳を介在させてつないでいながらも、あくまで互いの接触を遮る障害物でもあった。

 その窓が、この映画において初めて開かれる。それが愛する人の死という瞬間であったことは、窓がこの映画において、いかに生物的な活動を続けてきたかを、雄弁に語る証しである。

 それだけではない。ラーチ医師の死を聞いたホーマーは、呆然と窓を見つめるのだが、このサイダーハウスの窓には、木の格子だけで、ガラスが入っていない。初めて開かれる窓、ガラスの入っていない窓……。『サイダーハウス・ルール』の窓は、これほどまでに私たちを撃ち続けてやまないのだ。

■反復と円環
 足を洗って新しい生活を始めようとしていた主人公が、やむにやまれずまた犯罪の世界へと引きずり込まれていく――暗黒映画の定番ともいえる胸踊る展開によって、ホーマーは、医療活動を余儀なくされ、医師として働くことを決意する。

 『マーシャル・ロー』を帰還の映画だと、映画日誌にかつて書いたが、それを遥かに超えたレヴェルの帰還が、『サイダーハウス・ルール』のクライマックスに待っている。

 まさか、子供たちが窓の中からホーマーを迎えたりはしまい。いや、そんな見え透いた小細工を使わなくたって、もう十二分に満足している――そう思いながら、ホーマーの帰還を心から歓迎していると、いや、いたのだ。一人だけ、窓から彼を見つめる者が。ホーマーの門出を一人、窓から見送ったメアリー・アグネスが、ここでも一人ホーマーの帰還を窓から見つめる。

 またしても彼女は突如走り出し、鏡の前に立つわけだが、今度は平手打ちをくらわすのではなく、化粧を確認するという、この上なく幸福な反復がここにある。

 そして、ラーチ医師の偽造した医師免状は、『荒野の決闘』でヴィクター・マチュアにウィスキーのグラスを投げつけられる医師免状の額とは正反対に、輝くガラスの額に収まり、ホーマーの帰還を迎えるのである。

 映画において、真に有機的たりうるのは、人物や生物に限るものではない。窓やガラスなどの、ごく日常的な物質たちが見せてくれた表情や活動は、言葉や演技などの次元を超越し、純粋に映画として私たちを幸福な瞬間<とき>へと誘い続けたのである。

 

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 30/第参拾篇 長崎ぶらぶら節 
■吉永小百合の悲劇
 現代の映画を一言で表現するならば、「不幸」という一語が代表的なものとして挙げられよう。その現代映画における吉永小百合は、不幸という表現を代表する女優である。それを立証するさまざまな要素を、ここで列挙するつもりはないが、この『長崎ぶらぶら節』は、吉永小百合の不幸を、今さらながら、と言いたくなるくらいに、まざまざと見せつけてくれる負の問題作である。

 タイトルのお祭シーンで、三味線を弾く吉永小百合の短いアップが意味なくはさまれ、どういうつもりなのか、と問い詰めたくなるのだが、そんなことがどうでもよくなるくらいに、階段での振り向きショットでは、すっかり力が抜けてしまう。

 あれがライバル芸者に敵意をむき出した女の表情なのか?
 吉永小百合の演ずる愛八の設定は、それなりの気丈さを備えた女性のはずだろう。それが今にも泣き出しそうな顔で啖呵を切るとはどういうことか。仲間の芸者たちを先導する姉御的な性格を、このシーンで爽快に見せるべきではなかったのか。

 この映画に定着された愛八像とは、おとなしさ、上品さ、優しさ、慎ましさ……といった、吉永小百合にへばりついている悪しきイメージをことごとく発現させる、おぞましきものにしか収まっていない。こうしたイメージが、どうした経緯で確立されてしまったのか? 多分にその原因がテレビジョンにあるような気がしてならないのだが、吉永小百合のテレビ出演をほとんど知らない、というかテレビというメディアが生活の範疇外にある者としては、そのあたりを述べる資格も力もない。

 しかし、恐らく1970年代以降に悪しきイメージを定着させられてしまった吉永小百合は神話化され、女優としての早過ぎる死を迎えるしかなかったのだろう。それ以後、テレビはもちろん、映画さえもが彼女の神話を保守することに専念してしまい、生きた吉永小百合は封印されてしまったといえる。

 事実、80年代以降、現在に至る吉永小百合のフィルモグラフィは、惨憺たる状況を見せてはいまいか。『細雪』で言葉少なに「粘りはって」も、『夢千代日記』でテレビの当たり役を再現しても、『外科室』や『夢の女』で坂東玉三郎の手腕に身を委ねても、『女ざかり』の編集会議で発言の際に「ハイ!」と元気よく手を挙げても、結局『時雨の記』と同じような、いつものイメージに収まった吉永小百合がいるに過ぎなかった。

 多少変則技ともいえるのは、『天国の駅』の殺人者や、『玄海つれづれ節』の女詐欺師だが、それもあくまで変則でしかなく、基本はどこまでも神話としての吉永小百合を反復するにとどまっている。それが2000年の『長崎つれづれ節』になっても、一向に変化する様子を見せない。これが女優にとって不幸と言わずに何としよう。

■永小百合よ甦れ
 いや、それこそが吉永小百合なのだ、とも言えるのだろうか。どんな役を演じようと、吉永小百合は吉永小百合なのだ、と。

 ならばこれは、大河内傳次郎が大岡越前と茨右近と神尾喬之助を一人三役で演じても大河内であり続け、エドワード・G・ロビンソンがギャングと気弱な市民を演じ分けてもロビンソンであり続け、笠智衆が原節子の父親を演じようが原節子の兄を演じようが原節子の伯父を演じようが笠智衆であり続けることと同次元なのだろうか。

 それはまったく違っている。現在作られてしまった吉永小百合のイメージとは、壮大な勘違いによる突然変異でしかないからだ。大河内が大河内であるような吉永小百合とは何か? それは全力で走り、口うるさい敵は言いくるめ、暴力的な男なんぞはぶん殴ってしまう……凝縮した強大なエネルギーが外へと溢れ出る流出経路に他ならなかった。

 吉永小百合の最高傑作である『明日は咲こう花咲こう』を見れば、それは歴然だ。

 運動会の徒競争よろしき動作でしっかり腕を振って走り、夜這いをかけてきたヒヒじじいを跳ね飛ばすといった芸当を、これでもかという勢いで見せてくれる。慎ましく佇んでいる吉永小百合ほど、このときの吉永小百合から程遠いものはない。

 そこで『長崎ぶらぶら節』である。チャンスはいくらでもあったはずだ。高島礼子という、嫌味満点のライバルを設定しているのだから、売れっ子芸者を競うというなら、例の階段からドドドッと一気に駆け降りて、高島礼子の横っ面に平手打ちくらい食らわしてやればよい。女郎屋で喧嘩を売られたら、男に蹴りでも入れてやればよい。せめてその程度でもやってくれれば、吉永小百合は、ほんの少し生を取り戻せたかも知れないのだ。

 決定的だったのは、愛八が走ろうとしても、心臓が悪いという説話的な理由からか、ほとんど走ることができなかった点である。先にも述べた『明日は咲こう花咲こう』で最も感動的なのは、吉永小百合の全力疾走だった。大河内傳次郎やバスター・キートンらが、走ることによって映画の原型を作り上げ、その運動は、今もなおD・W・グリフィス、いやもっと以前にさかのぼるリュミエール兄弟の映画を見るような、色褪せることのない映画の根源的な魅力を保ち続けている。つい最近もイランのマジッド・マジディが『運動靴と赤い金魚』で全力疾走の素晴らしさを見せてくれたばかりではないか。

 今からでも遅くはない。全力疾走でも何でもいい。吉永小百合をもっと乱暴に動かしてはくれないものか。この希代の女優を、70年代から神話化した、というよりも化石化したまま終わらせてしまうのは、映画の大いなる損失である。今一度、吉永小百合を活性化させることこそ、日本映画界に課せられた重大なる課題の一つである。吉永小百合の次回作を撮るとことは、一本の作品を作るという次元では許されぬ、映画史と映画の現在によって裁かれる厳粛な行為でなければならない。

【おまけの一言】
『U−571』をずっと『U−157』だと思っていて、見にいく前日に間違いだと気づきました。チケットを買うとき、『U−157』と言わないかとハラハラしました。


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